前回は自分の理学療法士になるきっかけの高校サッカー時代のことを書きましたが、今年の選手権決勝の流通経済大学会 柏高校の名将、本田雄一郎監督は習志野高校時代の恩師で、中学時代に先生が熱心に誘ってくれて、この先の人生にかなり影響を与えてくれたので、感謝して見ていました。
その先生からのお言葉で、
[勝ちは偶然、でも、負けに偶然はない、必ず負けるべくして負ける]
と言うのが今でも心に残っています。
サッカーだけでなく、仕事でも、他のことでも当てはまると思っています。僕らの世界では、例えば患者さんとでも、どんなにいい技術やテクニックを持った人でも、治せないときは治せない、それは知識とかだけでなく、挨拶だったり言葉遣いだったり、時間だったり、何か負けるべき要因が必ずある。でも逆に、経験のある先生がよくできなくても、新人が見てよくなることもある。特殊なテクニックを学んでなくても親身にだったり、その対応で良くなっていくこともあるので、頑張っていかないといけないとですね。英語試験や単位でも同様なことが言えると自分は思っています。
それでは前置きが長くなったので、学生時代のきっかけに、戻りたいと思います。
国際医療福祉大学
日本での大学生活は、初めての一人暮らしや、成人してお酒が飲めるようになったり、勉強や実習に部活動も自主性を求められることばかりで戸惑うこと、誘惑に負けそうになることもありましたが、同じ理学療法士になる夢を持った仲間とともに本当に楽しい四年間でした。
もちろんサッカーもしてました。
そんなに監督とかコーチがしっかりと言うサッカー部ではなく、いい意味で自主的、悪く言うと環境も全然で、みんな医療系の資格を取りに来ていたので、全くサッカーなんてと言う感じでした。
でも、自分の入ったときは運良く、元マリノスやアルビレックスのサッカー選手、現在はベガルタ仙台の理学療法士をしている島田さんが一つ上にいたり、栃木のすごい選手だった先輩、いつも試合の後ご飯食べさせてくれた座間の先輩、埼玉サッカーの名門武南の先輩、栃木のサッカーのトレーナーでは知らない人はいない、今は仙台大学の教授の村上さんなど素晴らしい方、闘莉王とやってた渋谷幕張出身、茨城や山形の田舎者などなどと楽しく、サッカーできて、栃木県大学サッカーリーグ得点王、初優勝とはたから見た目はいい感じでしたね。まあ、元Jリーガーのシュウさんのおかげは言うまでもないですが。笑
得点王も、大事なところで点取れる頼りになる選手なわけではなく、よやめの相手にかためどりというちょっと卑怯でしたが。笑
まあ、大学は色々一人暮らしで環境も変わり、

サッカーに、家庭教師、スキー場でのアルバイト、パラグライダーのインストラクターのアルバイトで、お盆も正月も実家には帰らずに、

海外旅行や、お酒の飲み方などなと、那須の田舎でいいことも悪いことも色々学んだ四年でした。

研究活動のはじめ
大学四年生の当時、卒業研究で、三次元動作解析装置Vicon を用いた立ち上がりの研究をさせてもらい、トランクソリューションを開発された勝平先生にも大変お世話になり、
https://trunk-sol.co.jp/trunk-solution/mechanism/
学部で、学会発表や、アブストラクトも英語の論文投稿までさせてもらい、(もちろん先生におんぶにだっこですが)、その先生の、スペインへの学会発表にも今は大学の先生ですっかり有名になった野村先生とも行かせてもらい、学生ながらすごい人のもとで勉強できていたんだと思います。
整形外科勤務、海外留学決断
最初の理学療法士としての仕事は高校時代からお世話になっていた整形外科病院で働くことになりました。高校時代からお世話になっていた尊敬する先輩にも少しお声をかけていただき、説明していただいたりしていたので決めさせてもらいました。

サッカー大好きな自分は本拠地カンプ・ノウの凄さ、そしてサグラダファミリアや、アントニオガウデイの建築物、美人な外国人に目がいっていたのも事実ですが。笑

その貴重な経験がきっと千葉の整形外科で働いていた時に、


スペイン、ドイツ、デンマーク、韓国、フランス等々)で、発表させてもらえる機会、モチベーションになったんだと思います。


スペインでは🇪🇸学会最優秀ポスター賞をもらい、表彰式で、スペインのマドリッドまで行かせてもらいました。賞金も💰かなりの高額を頂け、とても嬉しかったのを覚えています。
その表彰式に舐められたらいけないと、高いスーツを買って、行く前に全て使い切るという感じでしたが。
また、次回はキャンベラ大学への経緯やオーストラリア留学について書きたいと思います。
読んでくれてありがとうございます。

