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オーストラリアでPhysiotherapist(理学療法士)になるまで Part2

理学療法士を目指すきっかけ

先日何人かの方からご連絡おいただき、キャンベラ大学を選んだ経緯や理学療法士のきっかけなどを載せてくださいといってくださった方がいたので、まずはきっかけから書かせてもらいたいと思います。

小さい頃から弟や友人とサッカーばかりやっていて、

中学校で今では、柏レイソルの傘下のチームにはいり、高校は当時習志野高校の監督、現在は流通経済大学付属柏高校監督の本田雄一郎先生に誘っていただけるご縁があり習志野高校でサッカーをすることを決めました。

その当時に、トレーナーとして理学療法士の先生が高校に来てくれていて自然と理学療法士を知ることができました。しかし、自分の父はサラリーマンで当時、そこまで有名でなかった理学療法士に、自分がそこまでなりたいとは思っていませんでした。
高校入学時は本当にプロサッカー選手になりたかったので、笑

でも、入学してすぐに、二つ上に元日本代表の玉田圭司選手や一つ上には今年で引退しますが、新潟で活躍する本間勲選手、そして同級生には柏レイソルの最年長の、栗澤僚一選手などが在籍しており、プロに行く選手は僕がいた三年間だけで、先輩後輩入れて20人以上、数ヶ月でレベルの違いを実感し、プロは無理だとわかりました。

高校時代は全国制覇を目標でしたが、上の代で結局インターハイ三位が最高でしたので(自分たち下級生は応援で、トップ選手は、高級なプール付きのホテルに泊まる中、大会が準備した旅館に代わりに泊まるという代役でした。)

自分の代でリベンジという思いがあった中※今考えると自分のレベルからそんなこと思っていたのが恥ずかしいですが、まあ若気の至りというか若気の勘違いですね笑。

春の大会2日前に膝の靭帯損傷で約四ヶ月サッカーができない期間があり、そこでリハビリで病院に通い、理学療法士やトレーナーにお世話になり、こういう仕事に興味を持つようになりました。

まあ自分は試合に出るかでないかという微妙な立ち位置、というよりベンチ要員がメインだったので、そんなに自分がチームを左右するなんてことは全くありませんでしたが。笑

でもサッカーが好きだったのと自分ができることできないことがわかるようになったので、社会人や、オーストラリアでも三十過ぎてもセミプロみたいなレベルまでできたんだと思います。

当時は最後の年で今年はやるぞと思っていた中だったのでメンタル的にもダメージが大きく、本当に理学療法士の方に助けていただきました。その担当の先生を追ってのちに千葉の整形外科で働くことになるので、その方には今でも頭が上がりません。

自分の祖父も脳梗塞で倒れ、そこでも理学療法士の方にお世話になり、幅広く活躍できる理学療法士はいいと思い、国際医療福祉大学に入学させてもらいました。

国際医療福祉大学

日本での大学生活は、初めての一人暮らしや、成人してお酒が飲めるようになったり、勉強や実習に部活動も自主性を求められることばかりで戸惑うこと、誘惑に負けそうになることもありましたが、同じ理学療法士になる夢を持った仲間とともに本当に楽しい四年間でした。

そして、オーストラリアへの研修旅行で実際の授業を見させてもらったり、施設の見学でますます、当時は開業権や各療法士が診断やフィードバックのために超音波などがある環境に驚いたのを覚えています。

まあ、メインはビーチやカジノだったのは想像できると思いますが。笑

海外へのきっかけなどは次回にまた書かせてもらいます。

読んでくださりありがとうございます。