2022年10月21日 32歳という若さでこの世を去ってしまった工藤壮人。
このことについてあまり触れられていなかった自分がいます。
人の死についてあまり書くべきでなはないのかもしれませんが、私もそうくよくよしていてはいけないので、感謝の意味を込めて半年たったので、私自身、前を向けよ!ということで書きました。
認めたくない、認められない、なんで??
というふうにしか思えなくて、、、
最後、ブリスベン空港で搭乗手続きに時間がかかって、走ってエスカレーターを登っていくあの姿が、最後になってしまったのが残念で仕方がないです。
サッカー選手として、
友達として、
父親として、
人として、
とても尊敬できる人でした。
奥さんに協力してもらって、工藤くん本人のサプライズで誕生日会を予約してたら
当日に、自分の会なのに、
本人は母の日で逆に奥さんにサプライズしたいからケーキをお店に頼んで欲しいって
言ってきたり、(聞くのは僕なのでどっちにもで困りました)

契約のこととか言わなくてもいいのに、いい話も悪い話も毎回、電話してくれたり、
(本当に義理堅い人でした)
日本に1人でチームを探しに帰る時も空港で手紙をくれたり、
本当に凄い人でした、、
ちょっと話はずれますが、私はありがたいことにたくさんのプロサッカー選手と接する機会があります。
たくさんの知り合いも友達もJリーグに行きました⚽️
ただ、サッカー選手は知れば知るほど本当に大変な職業で、
’華’ があるのは本当に一握り。
ほとんどの選手は苦しんで選手生活を終わっていると思います。
年俸何千万で華やかな生活ができ涙の引退会見で、ファンや家族になって幸せな選手は本当にごく一部で
人数だけ見ると東大に入るより難しいと言われるJリーグの世界。
好きなことを仕事にできる素晴らしさの反面、一緒にやってた選手が1ヶ月後には敵チーム
それならまだいいですが、数ヶ月後には無職で、、、ということの方が多いんですよね。
もちろん夢のある世界ですが、
その反面、本人はできると思っていても仕事があるかはわからない厳しい世界
ほとんどの選手が25歳前後で引退を余儀なくされている選手が多いと報告されてます。
もちろん私はサッカー選手になれていないのでそんなこと悩むまでもないのですが、笑笑
話はそれましたが、選手ってやはり試合に絡まなくなってきたら
自分自身が1番なんとかしないといけないって思っても
練習で自分は出れないからって、手を抜くわけではないと思うのですが、
緊張感、モチベーションが下がってしまうことが多いと思います。
私のようなアマチュアでも、試合から外れるようになったら練習に遅れたり、休んでしまったりとあるんですから、、、
工藤壮人選手は若くして柏レイソルでレギュラーを取り、
ゴールを量産する絶対的エース、(まだ柏レイソルの歴代最多得点記録を持っています)
日本代表まで上り詰めたスーパースター
(私は柏レイソルの大ファンなので偏見が入っていますが)
それでも、J1、カナダ、J2、そしてチームがない苦しい時期もあり、高校生と練習してチームを探していた時期もありながらオーストラリアのブリスベンロアーに来てくれました。
オーストラリアに来てからは、幸い共通の知り合いも多く、毎週のように家族で会って、
試合も見て、トレーニングも一緒にしました。
トレーニングを頑張っていましたが、なかなか試合に絡めない時もありました。
それでも常に全力で、契約が終わってしまっても、前向きに私たちアマチュアプレーヤーに驕ることなく
トレーニングしたり、サッカーの話をしたり、食事したり、
飲んだり(まあ飲むのは私ばかりですが笑笑)、
夢や子供のことを話したり、旅行に行ったりしました。


その中で私は、柏レイソルの試合はここ10年くらいは全て見ていますので、1番好きなゴールの話を聞いたり
ちなみにエスパルスとの試合で、胸トラップから骨盤を回して軸足の踏み込みからの反動で決めたゴールが1番好きなのですが、
2番目は2013年ナビスコ決勝のヘディング
(クロスを挙げた藤田選手がインステップで蹴りそうだったから、日頃から藤田選手のインステップは少し伸びるからレッズのディフェンスの裏にバックステップで遠ざかるようにしたらボールが来て、ヘディングであとはゴールキーパーがニアに来てたからファーにバウンドするシュートで届かないようにって)
本人談
こんな感じで、いろんなプレーの解説というか、プレーの言語化をたくさんしてもらいました。
だから指導者としても個人的には期待もあって、一緒に仕事をしようって約束してました。
一緒にトレーニングしててもモトキさんはステップが大きくて重心が後ろだから、足を出させてその股を狙ったとか、
いろいろ言語化してもらって、本当に楽しい話を夜遅くまで何度もしました。
その中で
やっぱりまだサッカーが好きだし、
どのカテゴリーでも必要とされる場所でやりたいと、
ゴールを取ることが1番だけど、
ベンチでもチームを盛り上げたり、
ベンチに入れなくても練習で味方のために全力で、
サッカーができるのが幸せだと、、
当時はチームもなく難しい中、人としてすごいなって思っていました。
私はover 35のリーグで、1人で点を取って自己満足の世界。
でも、何か物足りないと思い始め、セミプロの若い選手たちとやることも多いのに
自分は仕事だからとか、家族がいるからとか(もちろん家族は大事ですが)
サッカーはもう30前後の時みたいに上のレベルでできないって、勝手に自分でブレーキをかけていました。
トライアルに行って当時38歳で落ちるのも怖かったんだと思います。
おっさんのくせしていらないプライドが高かったんだと
いらないしょうもないプライドがあったんだと。
ブリスベンから工藤くんの急変を聞いて、
一度は良くなったと連絡くれたのに、、、
10月21日になってしまいました。
あれから考えて、泣いて、考えて、泣いて、思い出して、
私は40歳になりましたが、
まだまだ毎日走るし、(仕事しろよって思う方もいるかもしれないですが、一応してます。)
体は動くし、(もちろん若い時ほどではないですが)
何よりサッカーが大好き、
仕事もなんとか今はできていて、子供達も贅沢はできないけど食べてはいける
もう一回、大好きなことをやろうって
別に人のためじゃなくて
自分のために
身体がまだこの世にあるんだから、
若い人に抜かれたって恥ずかしくない
次に抜かれないように考えて、やってみる
考えてトライアンドエラーでも繰り返しやってみる
毎回の練習も全力で、
自分ももうそう長くはできないんだから、毎回の練習も全力でやってきたこの一年ちょっと
また話はそれますが、
こんなおっさんでも今年はありがたいことに三チームがオファーをくれて、
セミプロリーグと言われるFQPL1(3部相当)のSouth Side Eagles というクラブにお世話になることにしました。

一応、三つのクラブの中では1番上のカテゴリー(全試合テレビというかYoutube配信あるのでミスがバレますが冷やかしで見てみてください)
こんな歳になって
私を欲しいと言ってくれた監督のためにも、
やりたくてもやれない人がいることを感じながらやらせてもらいます。
練習して、自分に足りないステップとかヘディングとかを考えてトレーニングして、
今までで1番サッカーのために生活してます。
お酒も減らして、甘いものも減らして
(やめられないからまだまだなのですが笑笑)

遅い青春です。
でも1番楽しい40歳を迎えらているんじゃないかと
もう怖いものもないし、
恐れるものもないし、
プライドも関係ないし、
ただただサッカーを楽しむ
ボールを蹴れる喜びを楽しんでシーズンを過ごしたいと思います。
家族や子供に
この年までサッカーできる丈夫な体に産んでくれた母親に
(もう少しイケメンに産んでくれたらよかったですが笑笑)
常に自分の決定を尊重してくれた父親に
子供を残して送り出してくれる妻に
ゴールの取り方を教えてくれる子供達に
感謝して楽しみたいと思います。
もう何があっても
1試合で怪我しても
どんだけ負けても勝っても
スタメンでも途中出場でも、
たとえ5分の出場でも
全力でトレーニングして、
全力で準備をしてやっているので
後悔は全くないです。
工藤くんの分までなんて申し訳なくて言えませんが、
天国で
「元基さん、そこにいたら抜かれますよ」
「その間合いダメですよ」
「そのポジショニングはカモですよ」
とか言われてそうな気がするので頑張ります。

また長くなりましたが最後まで読んでくださりありがとうございます。