2026年5月1日、忘れられない心が裂けるような悲しい報告を受けました。
僕たちのチームメイトであり、共に戦った仲間であるJuanが、24歳という若さで亡くなりました。
白血病でした。
輸血治療も思うように効かず、急変して亡くなったと聞きました。
あまりにも突然で、あまりにも早すぎる別れでした。
Juanと出会ったのは3年前。僕が初めてこのチームに来た時でした。
彼の誕生日が2月だったこともあり、シーズン始まって最初のチームで誕生日を祝った時に、みんなでバースデーソングを歌いました。その時に「何歳になったの?」と聞くと、彼は「21歳」と答えました。
当時、僕は41歳。
「20歳も違うのか」と驚いたことを、今でもはっきり覚えています。
Juanはコロンビア出身でした。足が速く、身体も強く、1対1にも強い。サイドバックからフォワードまでどこでもできる本当に戦える良い選手で、サッカー選手としてとても魅力のあるプレーヤーでした。
ブリスベンに来てから数年が経っていて、以前はMount Gravattのチームでプレーしていたと聞きました。
僕も少し関わりがあったチームですし、移住してきた仲間として、それだけで勝手に親近感を覚えました。

コロンビア人と聞くと、陽気で、踊ったり、南米の音楽を歌ったりするようなイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、Juanはそういうタイプではありませんでした。
もちろん明るさはありましたが、派手なParty peopleというより、仕事にもサッカーにも真面目に向き合う人でした。
僕たちは2シーズン、一緒に戦いました。
彼は本当に良い選手でした。一緒にリーグ優勝を経験し、チームは昇格しました。遠征や旅行に行ったこと、毎回のトレーニングに一生懸命取り組む姿も、今でもよく覚えています。

20歳も年が離れていましたが、彼は僕のことを’おじいちゃん’といじってくれたり、真面目だけれど、ユーモアもある。そんなとても魅力的な青年でした。
昨年10月、シーズンが始まった頃に、監督からJuanが白血病になり、サッカーができないと聞かされました。
その時は本当にショックでした。
それでも、いつか病気を乗り越えて、また戻ってきてくれるのではないか。もう一度一緒にサッカーができるのではないか。そんなふうに思っていました。
でも、その願いは叶いませんでした。
5月1日、ファンは24歳という若さで旅立ちました。
Juanのお葬式は、母国コロンビアで行われました。
この時代だからこそ、インターネットを通してお葬式に参加することができました。画面越しではありましたが、Juanの最後を見送ることができたことは、心苦しくもあり、同時にありがたいことでもありました。
コロンビアの教会には、本当にたくさんの方が参列していました。何百人もの方が集まり、彼の死を悲しんでいました。教会は美しく飾られ、多くの人に愛されていたことが伝わってきました。親御さんが棺桶と共に教会を出ていき中継は終わりました。

僕にも子どもがいます。
自分の子どもが、自分よりも先に亡くなる。
それが親にとってどれほどつらいことなのか、想像するだけで胸が苦しくなりました。
Juanが亡くなったと聞いた後、最初の試合はカップ戦でした。
相手はLions。クイーンズランドでも一番強いと言われるような、元プロ選手も多く在籍するビッグクラブです。
しかも、そのクラブのテクニカルディレクターは、以前Holland Parkで僕を拾ってくれた前監督でした。
今はLionsという大きなクラブで働いています。そんなつながりもあってか、試合開始前、電光掲示板にはJuanの写真が映し出されました。
そして、全員で1分間の黙祷をしました。

その時間、チームメイトの中には泣き崩れる選手もいました。
僕たちにとって、Juanはただの元チームメイトではなく、一緒に戦った大切な仲間でした。
試合は、格上と言われるLionsに先制される苦しい展開でした。
それでも、後半に追いつくことができ、クイーンズランドでもトップレベルの相手に対して、僕たちは延長戦まで持ち込むことができました。

正直、後半の最後は「勝てるかもしれない」と思えるような雰囲気もありました。
延長戦に入ってからも、115分くらいまでは本当に完璧に近いゲーム内容でした。みんなが走り、戦い、声を出し、最後まで集中していました。
でも、残り5分で一気に限界が来ました。
たくさんの選手が足をつり、僕自身も足がつって動けなくなりました。その後、自分のパスミスから失点につながってしまいました。
結果だけを見れば、1対4の敗戦でした。
スコアだけを見れば完敗です。
でも、僕たちはクイーンズランドで一番強いと言われるようなチームを相手に、延長戦まで持ち込みました。
でも、これがサッカーです。
どれだけ良い試合をしても、最後の数分で流れが変わることがあります。悔しさも残りました。でも、それ以上に、あの試合は特別な試合でした。
自分のパフォーマンスとしては今シーズン最高の出来だったと思います。体もキレて頭も冴えて自己評価高すぎですがそのくらいの試合でした。
僕の中では、年齢なんて関係ないと、’頑張れよお前’Juanが少し力を貸してくれたような気がしました。

ホームゲームでも黙祷と喪章んをつけてプレーさせてもらいました。
サッカーを通して、国も年齢も文化も違う仲間と出会い、ここまで深いつながりができたこと。本当にいい仲間に出会えたことを、心から嬉しく思います。
僕は今、サッカーができます。仕事ができます。子どもたちと過ごすことができます。毎日の生活を送ることができます。
でも、それは決して当たり前ではない。
Juanの死は、生きていること、サッカーができること、仲間と一緒に時間を過ごせることが、どれほどありがたいことなのかを改めて教えてくれました。
きっとJuanは、天国でも大好きなサッカーをしているのだと思います。
またいつか、どこかで一緒にボールを蹴れる日を楽しみにしています。
「Juanの分まで」と簡単軽々しくは言えませんが、彼のことを忘れずに、僕ももう少し、大好きなサッカーを大切に続けていきたいと思います。
24歳という若さで旅立ったJuan
心からご冥福をお祈りします。
Rest in peace.

