あっという間の日本滞在でした🇯🇵
まあ5日間ですから当然ですね。

オーストラリア→羽田→伊丹→京都→千葉→栃木→千葉→オーストラリア
毎日移動して、幸い体調も良く、朝のランニングは4日間できて合計30キロ越え、
サッカーできない分、運動できてよかったです👍⚽️
今回はリトルフィジオでの発表のため帰国しました。(詳細は大会からの投稿待ちなので、また上げます)
そして私の母校でもある栃木の大学を訪ねることもでき、再びいい出会いに恵まれ、大学教授の先生方の本気の研究等々、
頭の良さを目の当たりにして、改めて自分の不甲斐なさを感じ、まだまだ頑張ろうと思えました。
リトルフィジオ大会では
全体で2位
‘スイッチオンサービス賞’を頂きました。

悔しくないと言ったら嘘にはなりますが、
発表も質問の回答も自分としての想いは伝えられたのでオッケーです。
偉い先生方や国会中継で見たことのある政治家の先生ともお話しさせてもらい、
理事の方の中でも『1番よかった』と言ってくれた方もいて、、
会場にいた学校の先生方からも連絡いただき、
早速、二つの学校から授業の依頼までいただけました。
そして、インタビューまで、

お笑いのM1でも『2位が売れることもあるじゃん』って
スーパーバイザーにも言われ、そうなる様に頑張りたいです。
そしてもう一つ、
3年半ぶりに両親に会えたこと。
これは本当によかったです、
親子3人で那須の温泉に行って♨️、
3人で旅行だなんて、3歳下の弟が生まれる以前の話だと思うので、38年ぶり?まあ自分の記憶も1、2歳だとないのですが、、👶

自分に子供ができるとなおさら親のありがたみがわかるというか、、
本当にいい旅でした。
ホテルのバイキングでも母親は
‘これも体にいいから食べなさい’
‘お腹空いてない?’
‘あっちにもときの好きなケーキあったよ’
とか、
いや、俺もうすぐ40歳になるおっさん
白髪まじりで逆にケーキとか身体とか気にしないといけないよ🎂
高校生の時みたいな、食欲ないし、逆にお腹いっぱいすぎて食えないって、
好きなものはバイキングなんだから自分で行けるって
まるで小さい子供のような扱い
いつまで経っても子供は子供とよく聞きますが、、
まあありがたいですね。
父はどんどんおじいちゃんに、歩くのもコロナの時に足を手術してから杖いるし、
歩幅も狭く、転倒リスク、
視力も落ちて、ちょっと心配に🤏
頭は元気だけど身体はなかなかで、
母が逆に週3回ジム行って元気すぎてそのギャップに母親が介護してるみたいな感じ
だからなおさら帰ってよかった👴

僕の7歳と3歳の子供の話をするたびに、僕と3歳弟もいつも喧嘩してたとか、僕たちの思い出話を、
小学校低学年でおしめとれてていいと思ったら旅館でおしっこ漏らしてクリーニング代置いてきたとか、
二人とも同じもの、お菓子もおもちゃも必要だったとか、、
何回も聞いてるんだけど、なんか親が弱っていくと、年取ってくると、あと何回日本に帰れるんだろうとか、
もしもっと病気になったらどうしようとか、
いろいろ考えるようになって
自分もわがままでオーストラリアに来たはいいけど🇦🇺、妻の両親もそうなってきたらどうしようとか(妻の方は結構歩けるしうちの父親に比べると元気なんですが)、会える時に会っておこうって
親孝行したい時に親はいないってよく言われてきたので
本当に短い期間だったけどよかったです。
1週間やんちゃな男の子2人を見てくれた妻に感謝して、帰ります。

新しい高輪ゲートウェイ、ゲームの桃鉄だといいカード売ってるんですよね🎮
荷物もたくさん持って📦
行きのスーツケース13キロ
帰りはスーツケース🧳と登山リュックに荷物40キロ。
頑張って持って帰ってきました✈️
ちなみに、

京都の雪見だいふくに抹茶味
これ最高でした🍨

